「阿蘇は素晴らしい場所」阿蘇市の防災担当が語る震災とこれから

「阿蘇は素晴らしい場所」
阿蘇市の防災担当が語る震災とこれから
2016-07-01 阿蘇市防災対策室 野尻裕二
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防災対策室長に就任したのは今年の4月からでした。3月までは福祉課に在籍していてそこからの異動になります。

その昔、平成2年の水害が発生した時代にも消防防災担当だった事もありますがだいぶ前の話です。当時とはだいぶやり方が変化していて、情報伝達の方法などを覚えていた矢先に今回の震災が発生しました。

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前震が発生した時は庁舎で仕事をしていました。震度5弱以上は全職員招集という決まりがありますので、震度を確認した後に職員に一斉メールを送信しました。それから避難所を立ち上げ、避難の放送を行い、そこから被害調査のパトロールに出ました。テレビでは益城の様子が映し出されていてとてもひどい状況になっている事を確認していましたが、阿蘇市としてはそこまでひどい状況ではなく、翌日の夕方5時には避難所も閉鎖して職員も一旦解散となり、夜9時には総務課も解散して家に帰りました。

それで自宅に戻り、部屋で寝ている時に本震がきました。自宅から急いで庁舎に到着すると、庁舎内は混乱気味、物は倒れ、余震は続き、停電に断水もしていました。余震で建物内にいる事は危険だと判断し外に災害対策本部を立ち上げ、避難放送では先に部長が来ており、自ら避難情報を伝えていました。

放送では庁舎の状態からも建物の中は危険だと判断し「屋外の広い所に避難するように」と伝えました。避難所の開設もその時はあえて行わず、とにかく屋外に避難するようにと情報を流したんです。

そこからまずは情報収集を始めたんですが、電話がつながらず市内の情報が全く入りません。衛星電話も用意しそこでの連絡はできましたが普通の電話は機能せず、かろうじてLINEだけがつながっているような状態でした。外に向けては防災無線を通じて発信することはできるのですが、入ってくる情報はなく、食糧の備蓄といった確認すらもできずに把握ができていない状況でした。

2時過ぎに避難所を9ヶ所開設、その後自主的に公民館などに集まった場所も含めれば最大で30ヶ所以上になりました。しかし避難所を開設したものの、そこに集う人の情報は中々入りません。人数把握にはとても苦慮しました。更に職員を派遣して何とか報告してもらい人数を把握した次には水や食糧の配布方法といった課題も生まれました。

当初は配布計画も作れない状況の中で、到着した緊急物資を仕分けをしとにかく届いた分から職員が手分けをして配布しました。

緊急物資は国や県に要請して手配されるものなんですが、混乱の中で実際には来るものも数も違うという事もありました。特に道路状況が悪かったため、到着するまでの時間がかかりその分配布も遅れるという状況に陥っていたんです。

それで必要な数も揃わない中で、連絡が取れるようになると「まだ来ない」「いつ来るのか」「時間を教えてくれ」といった連絡が次々に入り相当なプレッシャーがありました。特に最初の二日間は避難者の方にご迷惑をおかけしていたと思います。

避難所のピークは4月18日~19日でこの時は7000人以上の方が避難されていましたが、この頃にはある程度配布計画が回りだして避難物資もある程度ストックされた状況にはなっていました。水道の復旧は時間がかかりましたが、電気はこの頃には復旧が進み、避難所もある程度落ち着きました。

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こうした状況でしたので、まず最初の10日間位は家にも帰れない状態になりました。その後も3日に1回くらい着替えに戻る程度で、土日も関係なく病院と散髪に行った以外は今も休みがない状況が続いています。

初動の後には罹災証明の発行が始まり、地震の対応が落ち着いてくると今度は大雨の対応です。防災対策室は4人いますが、警報があれば解除されるまで、地震があれば収まるまで、雨が降ればやむまで全員待機が基本です。例えばお風呂に入りにいくにも交代で行って戻ってくるような流れになります。後は寝れる時に床にマットを引いて毛布で寝て起きての繰り返しです。

役所全体が似たような状況でしたから、自分たちも含めて1ヶ月位過ぎたところで職員全体が疲労し空気がぴりぴりしていました。上からは休める時には休めといった話もでますが、職員はみんな責任感が強く自分から休むと言い出せない人も多いんです。みんな大変な中で何とかやってきました。

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当然、市民の方も精神的にも相当参っていると思います。今でも余震が続き、大きな地震がまた来るかもしれないと思い眠れない方もいます。そうした中で再建を進めていく事は難しいところもありますが、市としても何とか復興ができるように進めてはいます。

罹災証明は現在1800件程度受け付けています。その中で全壊は110件程度、大規模半壊と半壊を合わせると500件程度あります。南阿蘇村との境を中心に全壊は多く、尾ヶ石、車帰、赤水といった地域に被害が大きいです。こうした地域の方を中心に家に住めず避難している方もいますし、次の住まいである仮設は別の課が担当になりますがそうした所も今進めている状況になります。

そうした住宅事情では「半壊だが修理と解体どちらが良いか」といった相談が多いのですが、こうした相談は判断が難しくまた今の法律では一定の支援しかできません。「解体したとして、その次をどうすれば」といった問に答えることも中々難しいのが現実です。

法によって縛られているためその部分しかお伝えはできないのですが、気持ちとしては理解はできます。私個人としてはジレンマも感じながら、できる事を伝えるしかない状況です。

こうした中で要望書の方は県や国に出して、例えば「家屋の解体費用に補助が出る」といった内容で少なからず改善はされた部分もあります。それでも元の水準に戻すということは難しいのですが、できるかぎり改善できるように要望はしていきたいと思っています。

土砂対策に関しては外輪山の上の方に亀裂がはいり、その下にある民家が心配です。市としても亀裂の伸縮をはかる伸縮機をつけたり、一番危険な所にワイヤーセンサーをつけてワイヤーがきれればサイレンがなる仕組みを応急的に導入はしています。ただ亀裂の入っている箇所が多すぎて台数は足りず、現在はとにかく危険を感じたら逃げていただくしかない状況です。雨がやんでしっかり調査してから更に対策を進める予定です。

今のところ大きな被害は出ていませんが、それも地元の区長に協力してもらい避難勧告の際に先頭にたって動いていただいているところが大きいです。こうしたところは、とても助かっています。

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大切な事は今回の震災で得た教訓を大事にすることです。水害に関してはある程度マニュアルはありますが、地震に関しては不足していて今回の震災を契機に対策をもっと考えていく必要があります。自主防災組織は8割程度はできているのでそうした部分をより強化していったり、消防団についても災害用のマニュアルを作る必要もあります。

市としても例えば備蓄体制の見直しを行いある程度どのように回していくかは計画していきます。ただ、それでも今回のような7000人が避難しその人数に対応できるような備蓄を常時していく事はとても難しいことです。行政としても見直しを行いながら、一方で住民の方にも防災的観点から普段から数日分の食べ物を確保していただくことなどを伝えていくこともしていきたいと思っています。

防災対策室にしても人員を含め業務の見直しをはかり検討する部分はあると思います。例えば避難指示も現在は指示をする区域が広いため被害の心配がない地域も入ってしまう場合があります。それを細分化してより明確に避難を呼びかけることは検討課題として上がっていますので、そうした所も含めて今後考えていきたいですね。

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阿蘇は災害が多い場所ではありますが、何もなければ大変素晴らしい場所です。私は内牧温泉で生まれ育ち、ずっとここの景色を見ていました。子供の頃はあんまり何とも思いませんでしたが、一度離れて戻ってみるとその良さがよくわかり「いいなあ」と再認識しています。

特にジオパークにもなった風光明媚な大観峰から阿蘇山をみるとみんな感動されると思います。私も今でも綺麗だなあと思います。また、イベントが好きで色んなところを回りますが、どこも地元の人が頑張ってやっているところがいいですね。

そうした景色だったりイベントだったりいいところは沢山ありますので、防災を勧めてまたお客さんが増えることを願っています。

※この記事は2016年7月1日に取材した内容に基づいて作成されています。

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野尻裕二
阿蘇市総務部総務課防災担当室長。阿蘇市出身在住。大学を卒業後阿蘇町の職員となり、企画や福祉課を経て現在は総務課に所属。1960年7月7日生まれ。

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インタビュー・テキスト:三上和仁 撮影:甲斐弘人
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