元々、阿蘇が地元ではないんです。
生まれは熊本市内、学校も市内に通っていたので育ちは熊本です。父が阿蘇出身なので、小さい時から実家に行くことはありましたが本格的に阿蘇に関わることになったのは店を始めてからですね。
父はその昔ホテルで働いていて、そこから15年前に独立しました。はじめて父から店を開きたいと聞いたのは、大学4年生の頃で「こういうお店をやりたい」と今のお店の構想を聞かされたんです。それで「いいね!やろうよ」と賛同して、就職活動をせずに在学中から店の準備をはじめ、卒業と同時にオープンしました。
うちの店はいちの川という創作料理屋と、千の森という離れの宿泊施設になりますが、最初の5年間はいちの川だけをやっていました。その頃は敷地内の竹やぶが物凄くて、いちの川を営業する傍らその竹をきって開拓して広げてという作業を繰り返していました。そこから父がイメージを膨らませ、宿をはじめたのが10年前です。
創業当時はお客様も少なく、要領も悪く料理長も変わったりもしましたが、色んな所から学び肌で感じながら形にしていきました。今では父が社長、母が女将で、自分がおもてなしを担当し、弟が料理長と家族でうまく役割分担をしてお店を運営しています。
そうした中で今回の大きな地震があったんですが、本震があった時は熊本の実家にいました。下からどーんという揺れに叩き起こされて、わけもわからずコタツの中に潜り込んでいました。凄すぎて、動けなかった事を覚えてますね。その後、弟が携帯をかざしながら歩いてきたので、一緒に外に出て近所の方と合流しました。余震が続いた事もあって、その日は車に避難し車中泊をしました。ラジオや車につけていたテレビで情報を探しましたが錯綜していて中々把握出来ませんでした。
それから明るくなり、熊本から阿蘇の店に向かいました。店に着くと建物は傾き、中も散乱していて大変な状況になっていました。色々と持ち帰れるものを出し、それと前日仕込んだ料理も持ち出しました。
その料理は炊き出しをする支援チームに友人がいたので、直接届け託しました。その縁がきっかけとなり、4月下旬までその支援チームの手伝いをしていました。
その後、知り合いが支援団体の日本財団にいた関係で日本財団の現地先遣隊チームに合流しました。財団では阿蘇周辺の案内業務、そして益城町のアセスメント調査などにも携わりました。本当なら先に阿蘇のために何か動きたいと考えていたんですが、自身にとっても勉強になるだろうと判断して益城の調査に加わりました。
この期間は財団の仕事をこなしつつ、店の片付けも続ける日々でした。それで店の復旧にめどが立ち、再開予定を6月1日にし、その前の日に財団から離れました。それから店の方に専念をする、というタイミングで今度は友人を介して6月10日に現れたのがこの「あそおもい」を一緒にやることになる三上君でした。話を聞き、そこからこの企画が生まれたんです。
三上君に最初に話したのが「情報発信」「阿蘇をみんなで盛り上げよう」ということでした。基本的な自分の考え方として、全体で良くならない限りは良くはならないと考えていて、この企画は1つのチャンスだと思いました。人と人がつながるチャンスで、何より自分自身が阿蘇の人とつながりたかったんです。そのつながりがこれからの復興にも、お店としても大事なことだとしたんです。そうした想いを巡らせている中で三上君が現れて、話し合った結果「あそおもい」をやろうという話になったんです。
こうした流れは昔から経験していました。元々は自分が中学生のときに「人はなぜ争うのか」という問が生まれ、その答えを導くかのようにいろんな人と出会った所が始まりなんですが、それ以降、問に引き寄せられて人に出会いヒントを頂くという流れが今までにもあったんです。その中でも、大分のなずなグループ代表の赤峰勝人さんとのご縁は大きく、ヒントや知恵を頂いた尊敬する師匠の一人です。それは食関係や宿でも共通していて、今の宿のコンセプトもそうした「縁」がつながったからあるんです。だから今回のあそおもいについても、そうした流れの中で自然発生したものなのかなと思っています。
この「あそおもい」を通じて、各地域が抱えている問題や人々の想いを共有し、阿蘇の人が横一線につながることを願っています。横につながることで絆が深まり、枠やカテゴリーを越えてニュートラルな関係を築いていけると思っています。そうしたところは、いままでも自然と意識し大事にしてきたところかもしれません。こうして生まれたニュートラルな関係性が次に何を生み出すのか、これは天の計らいに任せるしかありませんね。
こうした活動ができるのも一方では家族の助けがあってこそで、頭の中にある最終的なものはいつもここにつながります。地震があった後も父が素早く大工さんに手配し動いてくれたからこそ、一方で自分が財団に行くこともできたし、あそおもいをやることもできたので、本当に家族には感謝しています。家族があったからこそです。焦点はあくまでもここに置きながら、計らいで自分の目の前に置かれたものはやっていく姿勢は変えずにしていきたいですね。