前震の時は揺れもそれほど感じず、被害もそんなに出なかったんだ。問題の本震の時は夜の1時過ぎかな、家で寝ていた時に揺れてね、ガタガタものすごい揺れで、時間も長かった。ガソリンスタンドから南には北向山という山があってね、そこは原生林がある山だから水害には強いんだけど、その本震の時にはパキパキ、ミキミキと音が聞こえてね、停電だから暗闇の中で音だけが聞こえたんだけど「これは崩れた」と確信したよ。その後は余震があったこともあって車に避難したんだ。
LINEで呼びだされたのは3時頃だったかな。弁当のヒライの直ぐ側の家が崩れたから助けに来て欲しいと声がけがあったんだ。向かった時にはすでに救出はされていて、発生直後はそうした状況だったんだ。
停電していてもガソリンは手動で出すことができるから、緊急車両や発電機にガソリンを入れるためにスタンドは震災当日からあけていたんだ。すると、今度は近くの立野病院の裏山が土砂災害の危険性があるということで患者さんを避難させることになった。16日の夜から雨が降る予報が出ていたからね、急いで移動をしなければならなかったんだ。私もそのお手伝いをしてね、道路がガタガタだったから移動用のバスを病院の側まで慎重に誘導してね、そのバスにみんなで協力して患者さんを運んだりもした。
※立野病院と裏山の様子
もちろん、ガソリンスタンドの店内もめちゃくちゃでね。店舗の外も地面にひびが入っていたり計量器も一台倒れていた。自宅も瓦が落ちひびも入り一部損壊扱いになった。スタンドをあけながらも、家族で少しずつ自宅を片付け、その後店内も片付けた。色んな物をひっくるめると、被害額は数百万円は超えると思う。
この辺には江戸時代に長岡是容、通称監物(けんもつ)と呼ばれた人が作った水路があり、私の祖先はその監物井手(水路)を作るお手伝いををするために福岡からこの土地に来たようだ。その水路が今でも使われていて、集落の上の方にある九州電力発電所の貯水槽にもつながっていたりしたんだ。今回の震災で阿蘇大橋の土砂災害に巻き込まれて水路は途切れてしまい、九州電力発電所の貯水槽も決壊して、因果関係は調査中なんだけど真下で土砂災害が発生してね、住民2人が亡くなってしまった。今回の震災でこの集落ではその2人と、崩れた住宅の下敷きになってしまった1人が亡くなったんだ。
この集落は350世帯位いるんだけど、そのち50世帯が全壊でね、大規模半壊を含めるともっと数は増えるんだ。場所によっては高齢者を中心に住民が残っている地域もあるが、土砂災害が発生した場所の辺りはほとんどいない。最初は立野小学校が避難所でみんなそこに集まっていたんだけど、4月21日に雨が降った影響で避難指示が出てね、大津町の本田技研を間借りして避難所にさせてもらっているんだ。今でもそこに避難をされている人がいて、他にも土砂災害が危ないから避難所ではなく、アパートに移動した人も多いね。
※立野地区の集落
今後、この集落が抱える問題は大きく分けて2つある。
一番は水の問題、この地域は未だに水が回復していない。元々の水源が阿蘇大橋を渡った東海大の近くにあってね、そこから橋を通してこの集落に水を供給していたから、橋の崩落とともに水も断たれてしまったんだ。これは本当に大きな問題で、前と同じようにするには1年、もしくはそれ以上かかるだろうと言われている。他にも案は出ているがコストの問題もあり、すぐにどうにかなりそうもない。現在は給水車に頼る生活が続いていて、飲水にすら不便をしている状況、当然農業にも影響が出ていて田んぼなんかは難しいね。もちろん火事も不安だ。
もう一つは土砂災害の危険性だ。平成24年の水害でも土砂災害が発生して2人が亡くなったんだ。山を見ると茶色く剥げているところと、修繕がされているところがあるが、剥げているところは今回の震災の影響、修繕がされたところは4年前の水害の時に土砂災害が発生した場所なんだよ。ガソリンスタンドの真裏の山も、修繕された場所とヒビが入った場所と両方確認ができるんだ。水害の時の修繕がようやく終わったという時に、今回の地震が発生して止めを刺されたような気持ちだよ。
※左手後方が修繕された部分、右上の数カ所に土砂災害を起こしかけている茶色い山肌が見える
特に子育て世代は安全が確認できないと住めないという方も多いと思う。建てた家そのものは傷んでいないから悩んでいる方もいる。
こうした事情があるから、立野地区では例外的に損壊の程度に関わらず全員仮設住宅に入居できることになったんだ。地区全体に危険性があり、復旧に時間がかかると見込んでそうした判断をしたのだと思う。
一方で高齢者を中心に立野に愛着がある方も多いんだ。だからね、そうした人たちがもう一度ここはいいところだなと思ってもらえるようにしていきたいと考えている。仮設住宅を集落に作ることは難しいが、その後の村営住宅は集落の中に作りたいと思っているんだ。現状は山の近くに住居があり、平地に田んぼがある。山から離れている田んぼは比較的安全が担保されていて、宅地に変え安全な場所に村営住宅を作れれば良いのではと考えているんだ。実現できれば戻りたいという方も多くいて、そうなるように動いている。
うちのスタンドは親父が初代で私は二代目でね。まもなく創業50年になるんだ。私自身生まれも育ちも立野で、ずっと地域に根ざしてやってきた。復旧活動に使用する重機などのニーズのためにお店を開けているということもあるが、通行止めの一歩手前の場所で閉めずに開けていることに意味があることだと思っているんだ。橋が崩落して役場がとても遠くなってしまったから、代わりに情報が集まる避難所に毎日通って情報を集めて、こっちに持って帰りみんなに共有もしているんだよ。村のホームページにも情報は掲載してあるんだけど、高齢者の方は見れないし、特にみなし仮設の方は情報が集めづらい状況だからね。
私は暗くなるのは駄目なんだ、あくまでも明るくないと。
会えば元気になる、そうでないと駄目なんだよ。今までもずっとそんな感じだった。もちろんきつい時もある、楽しいことばかりではない時もある。でも明るくないと駄目なんだ。だからね、私は絶対復活するまで、それまで笑顔で頑張ろうと思っているんだ。