本震が来たときは自宅にいました。布団に入る前にふと真上にあった電気が気になり、なんとなく寝る場所をずらして寝たんです。その数時間後どすんと本震が来て、凄まじい揺れとともに大きなブラウン管のテレビがごろっといつも寝ている場所に落ちてきました。ずらして寝ていたので怪我をしませんでしたが、そのまま寝ていたらと思うとぞっとします。
それから自宅の側にある六地蔵店へ様子を見に向かいました。お店の中は言うまでもなく散乱していて、調理場も目も当てられない状況でした。魚を保管する水槽があるのですが、そこもパイプが外れて中の水は泥水になっていました。ボーリングで地下水を使っていますが、その地下水が濁って真っ暗でみえない状態になっていて、急いでその場で魚だけは生きれるように復旧作業を行いました。
発生当時なにより不安だったことは本店がある高森町の養魚場でした。養魚場には沢山の魚を養殖しており、その池が壊れていないかどうかが本当に気がかりだったんです。発生直後は電話もつながらず確認が取れないため焦りました。確認が取れて、養魚場は無事、魚も大丈夫だと聞きようやく少し落ち着きました。
店の見回りも区切りをつけ、余震が続いたこともあり車の中に避難をして車中泊をしました。そして夜が明けてからまたお店の確認をしところ、店の石垣が大きく崩れ店が一部浮いた状態になっている事がわかりました。建物は無事でしたが直接的な被害でいえばこの石垣の被害が金額的にも状況的にも大きくダメージがあります。また、建物以外にも業務に使う湧き水の量も震災前の半分に減っており、こうした部分も今後の業務への影響は大きいですね。
そうした自分の被害状況を確認しつつ、さらに地域の消防団に入っていますのでそちらの役割も入ってきます。どこの消防団もそうですが、若い世代が減っていて人出が足りず、更にみんな自分の仕事や会社があるため集まることも中々難しい状況の中、自分自身もジレンマを抱えながら従事していました。こういう時ですから、助け合うことはとても大事な事ですが、特に若い世代に対し負担も大きくなっているため消防団のあり方を考えていく必要はあるだろうと感じています。
店を開けることができたのは最近です。通常の営業を再開したというよりも作業場として使用を再開した状況になります。これからの時期、ギフトセットの需要などもあるためそうした作業をするために利用をしています。買いに来ていただく方もいますが、本当にたまに、というのが現状です。
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村上養魚場は父の代から始まり、私が継いで2代目になります。魚にはとてもこだわりがあり、例えば鱒の餌に酒粕を混ぜて新しいブランドを作ったり、燻製やヤマメの卵の加工品も作り販売しています。養殖の基本はできるだけ魚を多く育て販売をする効率化です。ですが効率化を優先すると魚がぶつかり損傷が出やすくなり、ストレスがたまって喧嘩をする場合もあります。村上養魚場ではそうならないように基本からは外れますが、少ない数でのびのび育てて綺麗な魚を作ることを大事にしています。
ここ数年、餌そのものの値段があがっているため、その影響で魚の値段もあげる必要が出てきています。そうした流れの中、正直なところ価格だけで見れば負けてしまうかもしれません。ですが、うちは綺麗な魚を作ることを大事にし、そこを評価されて買い続けていただいてここまでやってきました。そうしたこともあり、魚の美しさ、品質はどこにも負けないようにと思いながらやっています。ですから魚には自信がありますが、今の状況はとても厳しいです。
村上養魚場のこだわりの加工品
高森町の本店は旅館などへの卸事業、六地蔵店は小売事業と役割が違うのですが、それぞれ本店で7割、六地蔵の方は9割、売上が下がっています。メインは卸になりますが、この辺の旅館は今でも再開していないところもあり、再開しても被災者の受け入れをされているところが多いのが現状です。被災者向けのメニューは簡易的なものになりますので、ヤマメのような食材は中々提供されません。やはり以前と同じく観光客の方に来ていただき食べていただかないと、うちのようなお店は本来の売上を取り戻すことは難しい状況です。
そうしたこともあり、地震が発生した後は阿蘇ではなく、付き合いがある福岡や東京へ営業に出向きました。お陰様で、こうした営業を通して売上も回復したのですが、それでも元の3分の1程度です。
個人の方にも復興支援ということでお買い上げいただくこともありますが、送料が負担となりますので少量購入の場合は中々定着しづらいのも現実です。
幸い、村上養魚場は家族経営ですので人件費はそこまでかからないのが救いですが、魚は生き物ですので餌代は変わらず支払う必要があります。ここまで、売上損失をあわせれば被害総額は1000万円以上になり、この状態が続くのであれば新たな借り入れの検討もする必要があります。
この状況から脱するためには観光の復興と旅館業の再起が必要ですが、現在の道路状況を考えますと長い目で見ていかなければならないと感じています。どこか、メインで通れる道が一本でもいいから復旧する事を望んでいます。
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一方で明るい兆しも見えてきました。地震が発生した直後は旅館も閉鎖する考えを持たれている方もいましたが、時間が経過し支援が入ったこともあり再開を決意された方も増えてきました。この流れにうちも協力をしていきます。現在は地獄温泉さんの加勢をすることが決まっており、手伝える部分はできるだけ手伝いをしていきたいと思っています。
さらにこうした状況だからこそ行けるところには足を使って出向いて行きたいと考えています。時間があり商品もある今が話をするタイミンでもありますので、積極的に動いていきます。商品には自信がありますので、顔を合わせてしっかりと村上養魚場のストーリーを伝え、その上で信頼関係を築いていければと思っています。
うちのように営業はできるが売上がなく補助金も出ない状況のお店は他にも沢山あり、どこももどかしさを感じています。ここで商売をする人間はみんな運命共同体で、状況を変えるには全体で良くしていく必要があります。みんなで力を合わせてより良くなるように、うちも臨機応変に未来を見つめながらやっていきたいと思います。